変わらない意思

こんばんは。タイ速過去のお題ですが目標の20分は切れたものの、ミスを0に抑えられませんでした。まだまだ目の使い方が甘いですね。

動画については少し迷っています。インチキだとかズルだとか疑いの目を持って見られる方がいるのではと考えています。動画で自慢をしたいのではなく、練習法を皆さんに提案したいだけです。否定的な思考から悪意を持って解釈されるのは本意ではありません。

これは今日パソ活さんがリツイートされていたツイートです。


スマホフリック入力がキーボードでの日本語入力より速いのであれば当然といえば当然の判断です。しかし寂しいですね。

これから先、タイピングは役に立たないと言われる日が来るはずです。その時タイピング練習を行う意味はあるのでしょうか。意見は分かれるでしょうが、私はあると言えます。タイピング練習は心を鍛えるために行うものだからです。

入力オペレーターにとってタイピング技術と心は表裏一体です。いくら心があっても技術が追いつかなければ無力です。一方でどんなに技術があっても、心のないオペレーターを私は認めるつもりはありません。

力量の落ちる人間を見下すのなら心が鍛えられているとは言えません。今までそんな人の集まりからは可能な限り離れて来ました。また繰り返したくはありませんが心のない人間と同じ行動を取っていれば遠慮なく言ってください。潔く止めようと思います。