れんかの存在意義はタイパーに伝わるのか問題

昼間から小難しいことを考えています。

新下駄の存在意義は明白です。速さと楽さが同じだという主張はタイパーの方々にとって受け入れやすい話でしょう。

本家薙刀式はどうでしょうか。脳負荷の軽減はタイパーの皆さんならごく自然に受け入れられる話です。おそらくこれもそう難しくはないはずです。

れんかは本家より脳負荷を上げています。マニュアルを見れば覚えられないという批判もあるでしょう。なぜこれをやる必要があるのか疑問を持つ方も少なくないはずです。この答えに困っています。

配列作成者の目的を達成できるかどうかは再現可能であるべきです。また速度を上げるのは大事なことですが誰にでも再現可能というわけではありません。Qwertyで秒5打ならば再現可能と言えるかもしれませんが、秒10打を達成できるかはたぶん人によります。

新下駄でkouyさんの記録を抜いた方はいないはずです。本家で大岡さん以上に創作文を書くのが早い人を私は知りません。つまり現状再現可能だとは言い切れないはずです。

果たしてれんかの目的である正確な社説のコピー打鍵は再現可能だろうか。そんなことを考えています。